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8. The Rise of the Antichrist
8. 反キリストの台頭
黙示録13章1〜10節
ヨハネの黙示録12章に関する前回の学びで、私たちは終末の時代の最後の7年間の出来事を本質的には映画の連続する回想シーンのように見始めました。ヨハネの黙示録11章15節で、7つのラッパが鳴らされ、神の御怒りが始まりましたが、ヨハネは16章まで鉢の裁きに関して記述していません。12〜15章で、主はご自分の人々、聖徒たちがサタンの怒りに備えることを望まれています。反キリストは「いと高き方の聖徒たちを悩ま」(ダニエル書7章25節)し、そして彼らに戦いを挑みます。「すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った」(ヨハネの黙示録12章17節)。
これらの人々は、ダニエル書(9章24節)で定められている「七十週」の後半に地上にいるキリストにある信者たちです。その時期は大患難(新国際訳聖書)とも呼ばれ、マタイの福音書には次のように記されています。「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです」(マタイの福音書24章21節)。神の願いは、キリストを信じる者たちに降りかかる7年間(「七十週」)の後半(三年半)の出来事について、教会が前もって警告されることだと考えます。神は私たちに警告し、神の民が敵の猛攻撃に耐えるために目覚め、霊的に備えるよう促されます。それらの出来事が起こる前にその内容を知ることは、暗黒の時代の中で励ましになるでしょう。
すべてのキリストにある信者たちにとって、この出来事はまだ先のことであるとどのようにして分かるのでしょうか。さらに、ある人たちは黙示録の出来事はすでに起こり、西暦70年のエルサレム崩壊において成就したと信じています。これに対して、歴史上まだ誰一人として地球全体の支配権を握った人物や時代がないという事実があります。反キリストは、「あらゆる部族、民族、言語、国民」を支配する権威を持ちます(ヨハネの黙示録13章7節)。サタン(「この世を支配する者」:ヨハネの福音書14章30節)によって支配される世界の構造は、反キリストが世界の資源――通貨、燃料、教育、食物、保健衛生や薬品、武装部隊、政治構造など――を数十年に渡って巧みに操作することによって、世界征服を成し遂げる準備を整えています。それでは、悪魔とそのしもべたちが地上へ投げ落とされた(黙示録12章13、17節:前回の学び)後の出来事について読んでみましょう。
海から上ってきた獣
また私は、海から一頭の獣が上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十の王冠があり、その頭には神を冒瀆する様々な名があった。私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊の足のよう、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた。その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は驚いてその獣に従い、竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。「だれがこの獣に比べられるだろうか。だれがこれと戦うことができるだろうか。」(ヨハネの黙示録13章1~4節)
主が西暦95年に使徒ヨハネに見せた幻について彼が記録した時、黙示録は章で区分されてはいませんでした。ヨハネはこの素早く流れる幻を降りて来るがままに記しました。黙示録が章ごとに分けられたのは、ヨハネによって黙示録が記された約1000年後のことでした。今日学んでいる13章は、ヨハネの描写している出来事はサタンが地上に投げ落とされた後に繋がるように書かれています。サタンがその王国の支配の終わりが近いと悟ったとき(12章12節)、その王国の最終防衛手段として、ある人物と政治機構を備えていました。サタンは世界中に神の国が広がることを妨げなければなりません。この最終攻撃で、サタンは地球上で支配権を遺憾なく発揮するために2つの整えられた器を召喚しました――それは邪悪なサタンの三位一体で、竜、反キリスト、そして宗教を人類支配のために利用する者、すなわち偽預言者(黙示録13章11節、16章13節)で構成されます。次回の学びで、この偽預言者についてみていきましょう。
13章1節では、サタン(竜)が海辺に立っており、海から一頭の獣が上ってきます。なぜ海なのでしょうか。その獣の政治機構――大淫婦バビロン――が異邦人の海を表しているのです。「あなたが見た水、淫婦が座しているところは、もろもろの民族、群衆、国民、言語です(ヨハネの黙示録17章15節)」。反キリストが大いなる社会的変動の中で異邦人の中から台頭することを主が次の箇所から示しているというのが私の考えです。「それから、太陽と月と星にしるしが現れ、地上では海と波が荒れどよめいて、諸国の民が不安に陥って苦悩します(ルカの福音書21章25節)。」来たるべき反キリストは、1933年にドイツでアドルフ・ヒトラーが行ったように、混乱の中で荒れ狂う異邦人の国々の海から現れ、権力を握るためにその社会情勢を利用します。ナチ党の党員たちは、国会議事堂であるドイツ帝国議会を放火しました。そしてそれを共産主義者のせいにし、ドイツ人をナチ党のもとに結集させるための敵を作りだしたのです。[1]ここで記されていることは、文字通りの世界規模の大国であり、文字通り反キリストとなる個人がそこから生まれるということだと私は信じています。統制されたメディアが恐怖の風潮を拡散することでその力が増長され、獣が政治機構および世界機構を支配することを可能にするでしょう。
反キリストは、ダニエル書7章でダニエルが語った3つの獣と同じ特徴を持っていると、2節で説明されています。これは、反キリストが歴史上現れた3つの王国の複合体となることを意味すると思われます。まず、バビロンはライオン(「獅子」)に例えられ(7章4節)、この反キリストは、バビロンのネブカドネザル王がしたように、人々を揺さぶるような演説能力を持っています。2番目の獣はクマに例えられます。クマはメディア人とペルシャ人を表していることが分かっています(7章5節)。これはおそらく反キリストの凶暴さと力を象徴しています。ヒョウのような3番目の獣は、アレクサンドロス大王が支配するギリシャ帝国を表しています(7章6節)。おそらく、それは彼の軍隊がわずか3年で中東と西アジアを征服した速さを示しています。同様に、反キリストと彼の王国は、世界の出来事に迅速に反応する能力を持っているようです。
この獣には10本の角があります。聖書では、角は力の象徴であり、自然界では動物が角を使って戦うことによってその力を示します。教会史を通して、この10本の角の解釈に関する多くの説が提示されてきました。一部の解説者は、これらの10本の角をローマ帝国の個々の支配者を表すものと見なしています。他の解説者は、これらの角は、ローマ帝国から時を経て生まれた別々の国を表していると述べています。また10本の角は、2020年に作られた北米3か国が主導する10の貿易圏、北米自由貿易協定(NAFTA)を象徴すると読み取ることもできます。トランプ大統領はこの貿易協定を再交渉し、協定はUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)に置き換わりました。ASEAN貿易圏(東南アジア諸国連合)、欧州連合、アフリカ大陸自由貿易地域(AfCFTA)などもあり、この説の支持者はそれらがいずれ全世界を覆う10の貿易圏になると信じています。[2]その結果を見るまで、私たちはその解釈が正しいか知ることができません。私たちは、歴史を通して反キリストの霊が働き、幾度も台頭してきたのを見てきました。それでも、この実に最後の戦いでは、反キリストが誰であるか、つまり、善なるものすべて、さらには神ご自身にさえも激しく敵対する悪の化身が明らかにされます。預言者ダニエルもまた、10本の角を持つ強力な獣について書いています。
もう一本の小さな角
その後また夜の幻を見ていると、なんと、第四の獣が現れた。それは恐ろしくて不気味で、非常に強かった。大きな鉄の牙を持っていて、食らってはかみ砕き、その残りを足で踏みつけていた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。私がその角を注意深く見ていると、なんと、その間から、もう一本の小さな角が出て来て、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には人間の目のような目があり、大言壮語する口があった。(ダニエル書7章7~8節)
この箇所は反キリストを示す小さな一本の角について述べています。この人物が力を得たときに行うことについてダニエルが説明している箇所をさらに読んでみましょう。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が抜け落ちた。その角には目があり、大言壮語する口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。私が見ていると、その角は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに打ち勝った。しかしそれは『年を経た方』が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。(ダニエル書7章20~23節)
この他のものより大きく(文語訳:強く)見えた「小さな一本の角(反キリスト)」は聖徒に戦いを挑み、彼らを打ち負かします(21節)。この出来事から何に気づかされますか。この箇所は誰について語っていて、またその人々にとって「打ち負かされる」とはどのような意味でしょうか。
筆者の見解として、「第四の獣」はローマ帝国の名残を代表し、それは10人の指導者たちが「小さな一本の角」(ダニエル書7章8節)と呼ばれる人物へ権威を与える10の貿易圏構造と類似した政治形態より台頭します。これらの10の貿易圏はダニエル書2章44節のネブカドネザル王の夢に出てきた像の10本のつま先としても象徴されています。「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。・・・この国は永遠に続きます」。この御言葉では、これらの王や指導者が誰であるかは明確ではありませんが、10人の王は10本のつま先、つまり第四の王国の最後の段階によって表されています。王の夢は、一つの石が足元に落ち、サタンの一連の邪悪な王国の最後の生き残りを打ち砕く場面で終わります。これらの10の国家または貿易圏の指導者は、反キリストの登場とともに権力を握るのです。
あなたが見た十本の角は十人の王たちです。彼らはまだ王権を受けていませんが、獣とともに、一時だけ王としての権威を受けます。これらの王たちは一つ思いとなり、自分たちの力と権威をその獣に委ねます。彼らは子羊に戦いを挑みますが、子羊は彼らに打ち勝ちます。子羊は主の主、王の王だからです。子羊とともにいる者たちは、召されて選ばれた忠実な者たちです。」(ヨハネの黙示録17章12~14節)
これらの10の国々のテーマに関する見解をさらに学ぶには、YouTube動画(英語のみ)をご覧ください。以下のリンクが削除されている場合は、検索ワード「The New World Order – A 6000 Year(新しい世界秩序――6千年の歴史)」でGoogle検索を行ってください。動画を1時間35分38秒から見始めると、1973年のローマクラブの文書にある10の王国について講演者の話を聴くことができます。次のリンクから視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=9x4BySWBwos
全世界はこの第四の王国の権力またはその後の権力の下に置かれるでしょう(黙示録13章8節)。筆者は、世界征服とすべての国を一人の人の支配下に置く計画の一部がすでに進んでいると信じています。ウェズリー・クラーク将軍は、アメリカ同時多発テロ(9.11)の直後に関する証言の中でこの計画について語りました。以下のリンクをクリックするか、リンクが削除されている場合は、YouTubeで検索を行い、検索ボックスに「General Wesley Clark 7 Countries」と英語で入力してください。彼が言及した国々は、9.11以前には世界の陰で糸を引くものの影響を受けた中央銀行がありませんでした。リンクは次のとおりです。
https://www.youtube.com/watch?v=9RC1Mepk_Sw
使徒パウロはこの邪悪な指導者について書き、彼を「不法の者」と呼びました(第二テサロニケ2章3節)。ダニエルは彼を「一本の小さな角」と呼びました(ダニエル書7章8,19節)。使徒ヨハネは彼を「獣」(黙示録11章7節)、「反キリスト」(第一ヨハネ2章22節)と呼びました。「反キリスト」という言葉には2つの意味があります。(1)それはキリストに反対する人、キリストのアンチテーゼを意味します。(2)それはまた、キリストの代わり、キリストのような人物として自分自身を称する者――つまり、暗黒の時代に台頭し、荒れ狂う人類の海をその足元に置く人物を意味することもあります。七つの封印、特に「黙示録の4人の騎手たち」が封印を解く場面について学ぶとき、私たちは最初の巻物の封印が解かれたときに反キリストが台頭することを知ります。
獣を礼拝する
獣には致命傷を負ったように見える頭が一つあり(黙示録13章3、14節)、多くの人は彼が死ぬだろうと考えます。しかし、彼の傷は奇跡的に癒されます。全世界は驚いて(3節)、その獣に従います。ここで使われているギリシャ語の「thoumazō」は、「不思議に思い、賞賛し、驚嘆する」という意味です。この節で強調されているのは、この人物が死を克服し、その力によって成し遂げることを全地が賞賛する場面でしょう。この箇所がまだ成就されていないことが、反キリストはまだ来ていないと私が信じる理由です。黙示録の預言がすでに成就したと信じている人々は、この一節を額面通りに解釈することが困難です(彼らはこの一節は紀元1世紀に成就したと信じています)。1世紀のローマは、どの皇帝も全世界を「驚かせる」ことはできませんでした。
反キリストが生き返ったことは大きな驚嘆と、反キリストが神であり、死の宣告を免れることができる者だと信じるキリストの不信者たちを引き起こします。この癒やしはひどい欺きであり、堕落する者たちへ語られる次の箇所の偽りである可能性が高いです。「それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります(第二テサロニケ人への手紙2章11節)」。
この箇所は英語で、定冠詞「the(その)」が「偽り」という言葉の前につき、反キリストの嘘はひどいものであることを示しています。背後にあるテクノロジーの力によって、反キリストは様々なものをインターネットにつなぐ技術(loT)を使用して、会話を聞き、人々のあらゆる動きを管理できるようになるのだと考えます。5Gテクノロジーが導入され、テレビ、電話、そして多くの家電が私たちの会話を聞くので、獣は神のように人々の目に写り、非常に恐れられます。すべての食料が管理されるので、キリストを信じないすべての人々はサタンと反キリストを礼拝せざるを得ません(4節)。彼に立ち向かうよりも、妥協して屈服する方が簡単でしょう。彼の軍事力と財政力に抵抗できる国はないと結論付けるほどになるでしょう(13章4節)。
サタンは反キリストに全世界に対する力と権威を与え(黙示録13章2節)、上記のダニエル書7章21節がいうように、彼は聖徒――キリストのからだ――に対して戦いを挑みます。もしかすると、多くの人々はひざを屈めて反キリストを神として認めるくらいなら、その手にかかって命を落とすことを選ぶかもしれません。ダニエル書7章20節に「角の3本が抜け落ちる」と書かれてあり、反キリストが権力を握ったときに10人の指導者のうち3人がその地位から引き下ろされ、おそらく殺されるのだと私は信じています。しかし、私たちはこの箇所の解釈に関して独断的にならぬよう注意せねばなりません。
さて、黙示録13章の後半部分を見てみましょう。
この獣には、大言壮語して冒瀆のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。獣は神を冒瀆するために口を開いて、神の御名と神の幕屋、また天に住む者たちを冒瀆した。獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた。地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。耳のある者は聞きなさい。捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。(ヨハネの黙示録13章5~10節)
アドルフ・ヒトラーが邪悪な者の力によってカリスマ的に話すことができたように、[3]この男は冒涜的な言葉と主に対する中傷的な表現で多くの人々に影響を与えます(5節)。反キリストの前にひざまずく者だけがインターネットを利用できるとしても、驚くに値しません。キリストを信じる者だけが「否」と拒むでしょう。それが、反キリストが彼らに対して戦いを挑む理由です。反キリストにとって、神はただ一人――彼だけなのです。
不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。(第二テサロニケ人への手紙2章4節)
預言者ダニエルは反キリスト、そして彼が話す冒涜的なことばについてこのように続けます。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らの後に、もう一人の王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半時の間、彼の手に委ねられる。しかし、さばきが始まり、彼の主権は奪われて、彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。国と、主権と、天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』(ダニエル書7章24~27節)
神に対する冒涜と同時に、キリストを信じる者たちに対する抑圧が起きます(25節)。この獣は、定められた時間と法則を変えるでしょう(25節)。
定められた時と法則を変えると書かれている聖書の意味は何だと思いますか。どのような法や定められた時間が変えられると思いますか。そして、そのようなものはすでに今の時代にどのような姿で現れていますか。
この法の変化はおそらく、キリストの名が語られるキリスト教の聖日を完全に破棄することでしょう。その法はひどい罪のはじまりとなり、快楽主義が大手を振って歩くことになるでしょう。
聖徒たちが反キリストに引き渡されるということは、イエスが警告した7年間の後半、すなわち大患難の間に起こるキリスト教への迫害を指します(マタイ24章29〜30節)。迫害がキリスト教を打ち負かしたことはありませんし、それは教会がキリストに深く根を下ろし、その信者数の増加をさらに助長しただけです。教会は迫害を受けると思いますが、その箇所が語っている「敗北」(獣が打ち勝つこと)は、教会が文化的戦いに敗れたことを意味しているのではないでしょうか。聖書では、教会、または召された人々は、地の塩であり光であると書かれています(マタイ5章13〜16節)。時代が徐々に悪くなるにつれて、社会に対する聖徒の影響は弱まります。映画「風と共に去りぬ」が1939年に公開されたとき、俳優のクラーク・ゲーブルは、女優ヴィヴィアン・リーが演じる女性の涙ながらの質問に応え、かの有名な「d」の言葉を彼女に語りました(英単語の「damn」を指す。神を冒涜するニュアンスを持つ)。スカーレット:「(あなたが行ってしまったら)私はどこへ行けばいいの?」レット:「はっきりいって、俺の知ったことじゃない」(「Frankly Scarlett, I don’t give a damn.」)。このワンシーンは米国に大きな衝撃を与え、新聞一面のニュースになりました。これを今日と比べると、私たちがどれほど、この驚くべき速さでますます暗くなっていく現代の文化に対して鈍感になっているのかがわかります。
聖書はまた、マタイの福音書25章1〜13節にある10人の娘のたとえ話において、「霊的眠り」について警告しています。10人のうち5人の娘たち(自分のランプに油を入れて持ってきた)は賢明で、他の5人の娘たち(油を入れてこなかった)は愚かでしたが、このたとえ話は花婿が来るのが遅くなったので、「娘たは・・・みな寝入ってしまった」と語ります(5節)。反キリストが力を持つとき、キリスト教的文化に対する戦いは激しさを極めます。今日の教会の多くが眠りについており、霊的戦いに気づかずにいるのです。
聖書は、見かけが敬虔であっても、聖なるいのちの力に欠けている多くのもの(第二テモテ3章5〜7節)が信仰から離れる時代が来ると教えています。彼らはまことの教会がどのようなものであるかを知らないので離れていくのです。多くの人々にとって、今日、教会へ行くことは日曜日の朝の形式的な儀式です。イエスは言われました。「そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います(マタイの福音書24章10節)」。使徒パウロもまた、多くの者がキリストにある信仰に背く時代に起こるこの出来事について書いています。「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです(第二テサロニケ人への手紙2章3節)」。この聖徒たちに対する戦いがまことのキリストの教会に打ち勝つことはありません。たとえ信仰のゆえに殺されても、聖徒たちはキリストを裏切りません。神が御怒りを罪を愛する世に注がれる前に聖徒たちは救い出されます。
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。(第一テサロニケ人への手紙5章9節)
歴史を通して、サタンとそのしもべたちは神が崇拝されるような礼拝が自分たちにも捧げられることを願ってきました。悪魔的な霊は時に崇拝されるために人々を支配し、また偶像のうちに現れます。使徒パウロは次のように書きました、「私は何を言おうとしているのでしょうか。偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません(第一コリント人への手紙10章19~20節)」。
無意識のうちに、または知らないうちに、獣のしるしを受けとるのではないかと恐れる必要はありません。この点については次の章でお話したいと思います。反キリストが台頭し、誓いの忠誠と奉公を要求する時代が来るでしょう。誰に仕えるかについては、意識的に選択する必要があります。反キリストを選ぶ人は、サタンを崇拝するのと同様に反キリストを崇拝する必要があります。
子羊のいのちの書
キリストの再臨までのさいごの日々を考える時、あなたの一番の恐れとは何ですか。あなたの不安にキリストはどのように応答されると思いますか。
あなたの恐れが何であれ、ひとりで立ち向かうのではありません。イエスは言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます(マタイの福音書28章20節)」。そのさいごの時代や、自分自身や家族をどう養うかについて心配することに時間を費やさないでください。電車で旅に出るときは、乗車前に切符を受け取ります。神は必要な時に私たちを助けるために恵みを与えてくださいます(ヘブル4章16節)。10の災いの最中、神がエジプトでイスラエル人にされたように、神が私たちを養い、御力の守りを持って現れることに期待しようではありませんか。主は私たちと一緒におられることを約束されており、私たちを離れたり見捨てたりすることは決してありません(申命記31章6節)。バビロンの王ネブカドネザルが王に仕えていたユダヤ人シャドラク、メシャク、アベドネゴを火の炉に投げ込んだとき、火の中には彼らと一緒に4人目の人物がいました(ダニエル3章25節)。すべてが敵の思う通りにはいきません。多くの人が、地上で行われている霊的戦いという現実に目覚め、イエスを信じるようになっています。
地に住む者たちで、世界の基が据えられたときから、屠られた子羊のいのちの書にその名が書き記されていない者はみな、この獣を拝むようになる。(ヨハネの黙示録13章8節)
7年間の後半では、社会のすべての構造が「獣」と「獣のしるし」を中心に展開されていきます。全世界の商取引においては、各人が反キリストに従い、その機構の一員として認識されるためのしるしが与えられるでしょう。その時、キリストに属する者は主に従う決意を新たにせねばなりません。歴史上、キリスト教徒の存在がこれほどまでに際立つことはありません。しるしを拒否することによって、キリストへの信仰が露わにされます。しかし、子羊のいのちの書に名前が書き記されていない人は獣を崇拝します。
神は私たちを試みるもの全てから守るとは言われませんでした(第一ペテロ4章12〜14節)。すべての出来事を、益としてくださると約束してくださり(ローマ8章28節)、いかなるものも私たちをキリストから引き離すことはできないのです。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません(ローマ8章38〜39節)。
どのようにして、あなたの名がいのちの書に確かに記されていると知ることができますか。あなたはキリストを選び、その救いを信じましたか。もしこのことに確信がないようでしたら、今日その決断をすることができます。また、今日の学びと関連する「信仰にどのように確信を持てるか」を読まれることをお勧めします。
ここに奥義があります。私たちはキリストを選びましたが、神も私たちを選ばれたのです。パウロは以下のように、イエス・キリストに信頼するエペソの信者たちに手紙を書き送りました。
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。(エペソ人への手紙1章3~5節)
キリストとお会いするその素晴らしい日に、みなさんがキリストと共にあり、私たちが神の善さのうちで共に喜ぶことができますように。
キース・トーマス
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本文中の聖書箇所は聖書改新訳2017(新日本聖書刊行会)から引用しています。